Each Tempo

―それぞれのテンポで

実家に帰らない生活

この記録は……

他人の行為を喰い尽くす大人(造語:雛さま)を親に持つ、神経発達症ぎみな社会人の半生を振り返っています。実家の両親とは物理的にも心理的にも距離を置くようになって十数年が経過します。

※神経発達症ぎみ=所謂、発達障害グレーゾーン

 

実家に帰らなくなったキッカケ

2020年以降、新型コロナウイルスの感染拡大を理由に、実家に帰らない盆暮れ正月を過ごした方は多いのではないでしょうか。中には実家に帰らない気楽さに気づいた方がいらっしゃるかもしれませんね。自分の場合は東日本大震災(3.11)を機に、実家へ帰らなくなりました。実家に帰らなくなって早12年が経ちます。

違和感に気づけるかどうか

帰省しなくなる直前は、抑圧的な母から、生計がどうなっているのかと問い詰められていたこと、働き盛りだったので、ただ「めんどくさい」ということから、実家に帰っていませんでした。それから数年後、うつで1年近く休職した際に、自分と向き合う時間をつくることができ、実家が機能不全な家庭であることに気づきました。実家へ帰省した時の最後の記憶は、深夜に激しい動悸と冷や汗に襲われた事です。当時、粉瘤の治療薬を飲んでいた副作用かもしれないので、正確な原因は不明ですが、実家にいるだけで、得体の知れない焦燥感と居心地の悪さを感じたことはよく覚えています。実家を出て、色んな方と関わる中で「ここは安全ではない」と本能的に感じたのかもしれません。

罪悪感?強迫観念?

今でこそ、「不快になるなら実家に帰る意味が無い」と割り切るようになりましたが、実家に帰らなくなって数年は、罪悪感や後ろめたさ、自分が無能なのではないかという劣等感を感じていました。その背後には「親や社会の期待に応えられていない」という強迫観念のようなものがあった気がします。

なんでも思い通りにしたい母

自分が実家に帰らなくなった決定打は、母が自分の暮らしに口を出してきたことです。そして、縁を切った決定打も、同じく自分の暮らしに口を出してきた事が理由でした。抑圧的な母は、母自身のことが最優先です。将来的に、自分とまた暮らしたいという希望があったのでしょう。そのために、母に見合う暮らしをしていなくては(母が)困るというわけです。もともと、母とは価値観も性格も合わず、年々話す話題が減ってきていたのに、帰る度に生計について問い詰められたらたまったものではありません。当時の働き盛りの自分からしたら、自分の選択や価値観を否定されたようなものでした。

期待してくれるな

母はいつも誰かと会話する際に、相手の反応に対して母にとっての「正解」を思い描いており、そこからずれると癇癪を起こします。ある出来事がきっかけで、母に対し「いったい、どのように回答すれば満足するんですか?」と問うたことがあります。返事がなかったので「じゃあ、自分は路頭に迷うほど底辺な暮らしをしていると認識しておいてください。」と伝えました。子供(自分)への期待を断ち切るためです。以来、実家には住所を伝えないようにしています。

近しい人が同じく帰省しない

自分よりも先に、世代の近い兄弟・従兄弟の2人も実家に帰らない生活を送っていました。そして、不思議なことに、社会に出てから同じような生きづらさを感じており、20代後半で皆うつになっていたのです。母を含む母方の親族は抑圧的で攻撃的な特性が酷似しており、子供らへ悪影響を及ぼしていたようです。今は実家と緩やかに縁を切っているので、帰省の予定はありません。実家に帰ろうものなら、気力も体力も削られて、その後、2週間は休暇をもらわないとやっていけないでしょう……。自分が実家に帰らなくなるのも時間の問題だったのかもしれません。